呉の眼鏡橋 |
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土木学会選近代土木遺産未登録 |
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所在地: 広島県呉市めがね橋交差点付近 | |
河川名: 檜垣川 | |
形式: 石アーチ橋 | |
状態: 河川埋立て工事により埋却 | |
竣工年度: 1888年(明治21年)3月31日 |
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2022年12月訪問 | |
~Googleマップのストリートビューより~ 広島県、山口県方面に恒例の煉瓦アーチ探索を計画していた頃… 呉市内にめがね橋という交差点があり、その交差点の下に石造りのアーチ橋が眠っているらしい…という情報を、いつも煉瓦アーチ探索に 同行頂いている「宮様の石橋」の宮川さんに教えて頂きました。 まさに、な、なにー!!?ですよ、そりゃあ…。埋却物件で、掘り返し等での出現を除いて私が確認しているのは、(仮)五条小橋ぐらいです。 さらにネットで調べていくと、どうやら本当に残存するようです。これは何が何でもこの目で見てみたい! …ということで、今回の探索の目玉に急遽昇格したのでありました。 で、本番当日!噂のめがね橋交差点。写真撮ってなかったので、ストリートビューの画像をお借りしました。 高架で走るのはJR呉線。Wikipediaによると、呉駅-広駅間の開業は1935年(昭和10年)。さらに現地の案内板によると、同年に交差点南東に 位置する呉海軍下士官兵集会所(青山クラブ)の改築工事に伴い、敷地の拡張が行われており、河川の埋立工事が行われたそうです。 |
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左の建物が集会所です。 塀の中にトラックが停まっていますが、その 辺りがちょうど埋められた河川の位置になるか と思います。 ので、呉線の真下にあるって訳でもないようで す。厳密には交差点よりもやや南寄りに位置す る感じでしょうか。 |
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で、突撃する場所は… 事前に決めておりました。ずばり集会所の東 側。檜垣川の上流からのアプローチです。 少し高低差がありましたが降りられなくもない 高さ。難なく川床に降り立ちます。 |
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暗渠の入り口から一段下がっており、長靴で は厳しい水深になっておりました。 ところが!なんとこのような工事用と思われる 足場が組まれており、これまた難なく内部に潜 入できました。 |
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下流方面に向かって左手の擁壁。 恐らくは往時のままの石積みと思われます。 最上段は長手一列ですが、2段目以下はフラ ンス積みになってます。 その石積みにある謎の切れ込み。 横坑というよりかは何かの置き場? |
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何か皿のような平石。燭台? | |
仮設の足場は水深が安定する場所までしっか りと組まれておりました。助かりました。 それにしても、水が綺麗ですね~。 市内を縫ってきたとは思えない水質。日本の 下水技術はやはり凄いです。 因みに下流に向かって右手(この画像では左 手)の谷積みの石積みは、改修後のものと思わ れます。 |
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綺麗な川床に沈む煉瓦のカタマリ。 どこの煉瓦だったんでしょうかねえ。 |
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さて、下流方向に向き直ります。 ……… 手前の天井ほつれはまあ良しとして… 奥の出っ張りは何??? |
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おおお… ず どーーーーーーーーーん と川面に突き出してます。 よく見ると、天井を突き破っているというよりか は天井に鉄骨を使って縫い付けているような印 象です。 全くもって意味不明です…??? ちょっとななめやし… 地上の標識や看板の基礎とか? |
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ずどーんのカタマリを過ぎると… むむむ…何か工事中のような雰囲気が… |
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作業台でしょうか、流されないように上部の塩 ビパイプにチェーンで繋いであります。 その奥に…お目当てのものが見えています! それでは!溜めずにどうぞ! |
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埋却されつつも未だに水を通し続ける 呉の眼鏡橋 建造から134年余り、よくぞ遺ってくれておりました。石橋の耐久性を十二分に発揮しています。 |
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楯状迫石を使用しています。 坑門の平石積みにがっちり合うように加工す るとこのような形状になります。 チョークでメモ書きしてある石積みは後年物 と思われます。 |
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右側です。 こちらも少しですが坑門の切石が見えていま す。 |
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側壁からアーチに至るまで素材の統一感から積み方まで非常に精緻です。奥は補修がありますが、充分往時の雰囲気を感じさせてくれます。 径間長は実測でおよそ3.64m。12尺ぐらいですね。 |
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アーチの上部にフックが据え付けられていま す。何を引っ掛けていたんでしょうか。 |
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下流を見て右側には、後年開けたと見られる 横穴が。どうやら上部への脱出口のようです。 あそこから出ると道路の真ん中ではないでしょ うか。 しかしエラいところに作りましたね… |
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そして!左側には、こちらはまじもんの逸品 が。 楯状の迫石加工を施した横坑です。 |
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内部は相当に埋まってしまっており、この横坑 は既に機能していないようです。 下流側の左手なので、流入口ではなく、流出 口の可能性もあります。集会所等からの排水か もしれませんし、逆に送水していたとか…? まさかの集会所からの脱出口だったりして… なんてね。 で、ちょっと奥が気になりません???明らか に石積みとは違う材質のような… |
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実は帰ってから写真を見て気が付きました。 ので、上の写真のトリミングでしか確認できま せんが、これって…煉瓦ではないですか??? 石積みアーチの奥は煉瓦アーチの可能性が あります。 ああっ、ちゃんと見とけばよかったあ~(泣) |
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振り返り。 往時はここからどのような景色が広がっていた んでしょうか。 因みに坑門を出て右の側壁の石積み、上流 側の側壁が出っ張っていますが、あそこの境目 に背の高い合流溝があります。蓋渠となってお り、桁が無限に並んでいます。その素材が最初 石かと思ったのですが、どうもコンクリっぽい。 残念…(しかも写真撮ってなかった…) |
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そしてこちらは下流側。 いろんな年代の配管が容赦なく石積みを貫通 しています。 …うーむ…もうちっと何とかならんかったんす かねえ… |
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振り返り。 損傷があったのでしょうか、鉄骨入りのコンク リで補修されています。 しかしその補修もコンクリが剥離しています。 |
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石積みのアーチに綻びは見られません。 見事な造形です。 |
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何とか配管を避けて下流側坑口からの眺め。 100年前の時点では考えもつかない変貌ぶり でしょうねえ。 |
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下流側の坑門です。古い配管が密着しているため、坑門が殆ど見えません。 ちょっと残念ですが、この134年の歴史の跡だと思えば感慨深いものがあります。 |
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下流方面です。 両側をコンクリ壁に覆われ、上部も土地として 利用されています。 様々な時代が交錯していますねえ。 |
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完全に暗渠化されつつも往時の姿を残している呉の眼鏡橋。 日の目を浴びるのは難しいとは思いますので、せめてこのまま余生を過ごして頂きたいです。 こちらのサイトを見ると、眼鏡橋の詳細が分かります→ チェッ呉 |