旧端出場発電所導水路遺構群


愛媛県


その1

  

           2018年4月訪問

 2018年3月18日、神戸JCTから名神接続までの中国道を利用する全人類が待ち侘びた(?)
新名神神戸JCT~川西ICがとうとう開通し、高槻JCTまでが全通しました!
 いやあ、こんな嬉しいことはない。工事過程での痛ましい事故があって複雑な所ではありますが、やはりあの魔の宝塚トンネル渋滞の解消が
期待されていただけに、やはり有難いです。
 これまでは日曜日夕方帰りの宝塚渋滞が嫌で嫌でしょうがなかったので、近畿西方への遠征は躊躇しておったのですが、ようやくモチベー
ションが上がってきました。特にわたくしども箕面市民は、新御堂筋接続の箕面グリーンロードトンネルを使って、新名神箕面とどろみIC直結
ですから下道はほんの少しで済みます。いやあ、ありがたやありがたや。
 
 さて、ではどこへ行こうかと思案したわけですが、そういえば四国は本当にご無沙汰です。前回は…2010年10月ですね。財布を紛失して
ピカさんに大迷惑をかけた記憶がございます…
 そんな苦々しい記憶のまま止まっていた四国遠征ですが、今回は石橋ハンターの宮川さんと石桁、石アーチ、煉瓦アーチの探索ツアーを
企画致しました。そのツアーの目玉が、別子銅山にある端出場発電所!古い水力発電所には石や煉瓦造りの構造物のある可能性が高い
ことを知っており、調べていくうちにこの発電所に行き当たりました。詳しく調べるとネット上に導水路のレポートが上がっている!しかも地図ま
でお作りになって、結構詳細にお調べになっております。この方々のレポートを拝見して、意欲がMAXになりました!是非行きたい!!!

 
端出場水力発電所
 1912年(明治45年)竣工。銅山峰南方の日浦地区で銅山川や支流河川から取水し、日浦通洞と第三通洞を利用し北側の東平に抜け、
導水
を使用し石ヶ山丈にある上部水槽まで引水し、当時落差日本一の597.2mの水圧鉄管を通り、煉瓦建屋で発電したそうです。
 日浦通洞(1908年(明治41年)着工、1911年(明治44年)竣功。延長2020m)と第三通洞(1894年(明治27年)着工、1902年(明治35年)竣
功。延長1795m)は現在は入ることができません。日浦通洞と第三通洞は地底で繋がっているようで、見ることはできません。日浦通洞の日
浦側坑口は廃ながら視認できるそうです。第三通洞の東平側は閉鎖されているものの、観光で見ることができます。両通洞併せて3815mの
長大隧道により大山塊を潜らせて引水することを明治期に考えるのがすごい。まあ、通洞の主目的は銅の産出なんですがね…。調べれば
調べる程、この別子銅山の規模が拡がっていきます。しかも煉瓦比率が極めて高い!これは数年かけて調べ尽くさねば…

 GWの探索箇所は決まりました。その目玉が端出場発電所導水路。しかしこの導水路、崩壊鉄橋など、山屋さんでも苦労する道中である
ことが想定される&遠方であることから、地元のはみ男さん、アルプさん(当然旦那のピカさんもw)にお声かけさせていただきました。
 最終的には体調が思わしくなかったアルプさん(とピカさん)を除いた宮川さん、はみ男さん、私の3名での探索となりました。しかし今回は3名
ぐらいで良かったかも…想像以上な難行と相成りました。

 さてその実態や如何に…


 これが別子銅山東平地区の現地案内板一部トリミング加工した地図です。見にくくて申し訳ないです(;´∀`)
 因みにこの案内板は当時のものですので、現在とは異なる箇所が多いですのでご注意ください。
 さて、取水口の日浦地区から日浦通洞と第三通洞を経由した水は、これも洞内で導水路最初の隧道に流れ込みます。この隧道も結構長く、次に顔を出
す吐口まで行くのが最初のミッションです。
 東洋のマチュピチュ、別子銅山東平地区観光の方々の駐車場よりもさらに奥に、登山者用の駐車場が設けられています。

 その駐車場に私の車をデポ、はみ男さんの車を道の駅マイントピア別子にデポし、導水路を取水方面から発電所に向けて片道で進軍する予定です。
 右手が登山者用駐車場。
 車止めの先からが登山道となります。
 銅山峰、西赤石山への登山道案内に加えて、
第三通洞、変電所の案内もあります。
 第三通洞、変電所へはまだ観光ルートですの
で、このように道はしっかりしております。
 広場に出てきました。
 この広場は東平採鉱本部跡だそうです。

 1916年(大正5年)採鉱本部を山頂に近い旧別子
の東延から中腹の東平に移したそうです。
 1930年(昭和5年)端出場に再び移転されるまで
の14年間、ここに本部が据え置かれたようです。

 この場所にも見所はたくさんあるんですが、それ
は後ほど…
 現地案内板にあった当時の写真です。
 この広場から、ここに訪れた人々が思い思いの
場所に散っていきます。
 この広場にある遺構を見て帰る方、各登山コー
スで銅山峰にチャレンジする方、上部軌道に向か
方、鹿森ダムに下る方…
 あれ???私等の行く場所は???

 これがまた載っておりません。
 完全に封印されてしまったのか…今から私等は
そんな場所に参ります。
 私等の行く道…
 それは採鉱本部跡広場と第三変電所の隙間に
ありました。これは鹿森ダムに向かうルートと同じ
です。途中で別れる訳ですな…
 上段に煉瓦造りの変電所を見つつ小径を歩き
ます。
 鹿森ダム登山道との別れはすぐに訪れます。
 本当、変電所過ぎてすぐです。
 登山者の轍は左の道に向いており、案内板も
そちら方面に向いています。
 では右の道は???
 完全に忘れられた道…
 そんな感じですが、我々が向かう道はまさにそこ
なんでございます。
 右側の道に分け入ります。
 って、あれ?結構綺麗な道です。
 意外と楽勝なんぢゃね?なんて…
 …まあそんな甘くありません。
 いきなり道が判然としなくなり、道が昔崩れた跡
を少し高巻きしたり、格段に道は悪くなります。
 で、この場所にはこんな遺構が…
 おおお…
 丸太橋が真っ二つになっています。
 この延長で橋脚なし?だったのでしょうか。
 それはないか…橋脚が崩壊して真っ二つになっ
たんでしょうかねえ。
 それか吊ってた?
 ここをやり過ごす道はこんな頼りない手製の木
橋で谷に降ります。
 一応ロープの手摺も付けてあり、まだ何とか橋の
消費期限は過ぎていませんでした。

 で!その手製木橋の下に謎の穴が… 
 おおおお…
 ふ、深い…
 なんだ、この穴…
 むむむむ…奥で崩落か…?
 推測ですが、導水路の隧道に繋がる横坑ではな
いでしょうか。
 谷に開いているのは、排砂路の役割もあるのか
もしれません。
 今回の主目的ではないため、深入りはしません
でした。
 さて、まだ導水路にも辿り着いておりません。
 先に進みましょう。
 谷からみた真っ二つ丸太橋。
 おーこわ… 
 無事対岸に渡れました。
 先を急ぎましょう。
 一応鉄塔巡視に使われている、らしいので、
 道自体は整備している雰囲気はあります。
 でもこれは…
 木製の路肩ですw
 あんまり端っこは歩けないですねえ。
 かつては導水路の巡視路として開削したんで
しょうから、この路も明治製なんでしょうか。
 石積みで丁寧に路肩が守られています。
 その先に谷が。
 送電線鉄塔の巡視路でよく見かけるタイプの
橋が架かっています。
 やはり巡視で現役みたいですねえ。
 
 こちらは丸太橋です。
 あの真っ二つのと同じ感じですが、こちらはしっか
りしている感じがしました。
 石積みがいい雰囲気です。
 そしてまた例の橋があります。
 巡視の札が来た道と、下りの道に付いています。
 これで惑わされて降りてはいけません。
 真っ直ぐです。
 真っすぐいけばすぐに鉄塔が現れます。
 住友共同電力「高薮西線№48」です。
 先程の道を下ると№49方面に行けるんでしょう
ねえ。
 物見櫓のように聳える高圧鉄塔。
 対岸には東平の廃景が見えています。

 セルフドローンで撮影(???)
 観光パンフレットでよく見かける構図ですが、やや視点が高くなってます。
 晴れの日の撮影は早朝がいいですね!午後は完全に逆光になります。
 まともな(?)撮影ポイントもあります。そこの写真をロールオーバーしております。
 視点が僅かに違うのと、後のしゃしんだとどうしても送電線が入り込んでしまいます。

 時間はまだ8時前です。観光客もまだ来ていないようですねえ。
 見られるとちとまずいかな…てへ(コラw)
 またロールオーバーさせています。このぐらいズームすると、殆ど変わらないっすね~
 さてさて、先に進みます。
 ここから先は送電線鉄塔巡視路から外れた道
であるため、具合は悪くなります。
 それでも道筋ははっきりしており、道を辿ります。
 最初の隧道の邂逅まであと少し!

 以降、 
その2 に続く!