1911年(明治44年)2月、大聖寺川水力発電株式会社が設立。社長は久保彦兵衛。 大聖寺川から分流する紙谷用水を利用し山中発電所(264kw)を建設したそうです。 ※実高ふれ愛隊日記様ブログ参照 |
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取水口 | 未確認 | |
(仮)我谷橋梁 コンクリートアーチ |
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?号隧道呑口 コンクリートアーチポータル 素掘り |
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?号隧道吐口 素掘りポータル 多分素掘り |
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手前のコンクリ桁橋に挟まれてはっきり分からないが、 素掘りのままと思われる。 |
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(仮)栢野橋梁 石アーチ(一部コンクリ補修) |
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導水路下が石アーチ、国道下になって素掘り、 出口でコンクリートアーチになっている |
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?隧道呑口 石アーチポータル 素掘り |
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?隧道吐口 | 未確認 | |
?隧道呑口 石アーチポータル 総石アーチ? |
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?隧道吐口 石アーチポータル 総石アーチ? |
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(仮)天狗岩橋梁 元石アーチ?(総コンクリ補修?) |
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?隧道呑口 ポータル消滅? 素掘り |
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国道開設により隧道が切り崩された結果がこれと思われる よって呑口が消滅した可能性大 国道上は送水管でフォロー 国道をトンネルにしてほしかったが高さが足りなかったか |
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?隧道吐口 煉瓦石アーチポータル 素掘り |
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テン ライ スイ リ 天賚水利 ※利水賚天ではないっすね(謝) 賚は"たまもの"の意味があり 「天から賜った水を利する」という意味か 明治辛亥十月(1911年(明治44年)10月) |
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上部水槽跡 | ||
隧道前は紙谷用水として現役使用。 向かって右に用水本流が流れ、左は大聖寺川に放流すると思われる 上の写真手前が上部水槽の遺構と思われる 建屋や水圧鉄管は残っていない 発電所方面も旅館ができてしまっており、川岸を視認できない |
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以北紙谷用水 | 元上部水槽より北側は純粋に紙谷用水以外の用途はなかったようだ 白山神社手前まで追いかけたが、 隧道は素掘りやコンクリアーチのみである |
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