後半戦
隧道へは地図上残りわずかですが、勾配がきっつい! 車乗りにありがちな歩くことを忘れた人種であるだけに 余計きつい! 写真は後ろを振り返って撮りました。 道らしきものが希薄になってきた。 |
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んん!!!!!? 左へ緩くカーブする先は明らかに人の手が入った形跡 が。。。! そろそろか?? |
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むむむむむ!? 根こそぎ崩れ落ちてるどでかい木の先は一見終点だが、 そんなわけないやろー! |
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はっけーん! ついにたどりつきました。本当にあったよ穴があああ。。。 ここから見ると相当土砂に埋まっているみたいだけど、 向こう側も見えてるしねー |
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いやーやっぱり相当埋まってるなあ。 巨大な岩石を無理やり手作業でくり貫いた感じ。。。 |
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隧道寸前。意外とくぐれそう。 相当やけくそな掘り方ではないか?? 道を作ってきた人々がようやく峠に辿り着いたと思ったら 巨大な岩石にさえぎられ、感情のおもむくままに 掘りきった。。。感じ。(邪推ですすんません。) |
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土砂の堆積がなかったとしても、車は通れんかな、 この広さでは。。。年代は分からんが、車の時代には もう使われてないのかもしれないなあ。 今なら二輪車ならいけるかも。いや掘り下げんと無理か あの道を登ってこれるつわものならきっと完走可能 なのでしょう。 |
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兵庫県側から撮影。 半分くらいは埋まってるのではないでしょうか。 本当にまさかこんなとこに穴が開いてるなんて思いません 地図にも表記ないしね。 |
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兵庫県側下り。 まったく人が歩いた形跡がありません。 しかし、車でも充分走れる広さを確保してます。 |
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兵庫県側に鎮座するお地蔵様。 この道の守り神でしょうか。 |
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京都府側にもあります。 どうやら道標のようです。 |
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こちらはずいぶんと新しい。 「右」ちはら 「左」すえ とはっきり読み取れます。 千原、末ともに京都府側の地名です。 よととは千原から来ました。 末への道は殆どなくなりかけてました。 |
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非常にレアな隧道だと思います。 ちなみに「千原隧道」という名称は、よととが便宜上 勝手に命名しただけで、決して 正式名称ではありません! ご了承下さい。 |